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同級生について

街中でばったりと同級生に会った。当時の人間関係を思い出すよりも先に私は懐かしさがこみあげてきて声をかけた。
 
最後に会ってから十余年の歳月が流れていたが、当時の面影はしっかりと残っている。彼を見ていると時間が止まっているかのように思えた。むろんあちらもこちらを認識したであろう。
 
学校はどこに行ったのかから職業と結婚まで話は飛んだが、彼は終始上機嫌に笑うばかりであった。何がそんなに面白いのだろうか、私は戸惑いを感じていた。

人生というのは最初はほんの少しの差でも年月を重ねていくうちにだんだんと大きな隔たりとなっていく。むしろ学校に入った当初のころの学力は私の方が上だったはずである。それがどうだ、人生は学力だけじゃないと証明された格好となっている。

病気を患っていなければ、と私は悔やむ。もっと違った人生を歩んでいたのではないだろうか。

また他人と比べてはいけないと言われる。しかしながら人生というのは他人と接触しながら勝ったり負けたりして生きていくものなんだと私は思っている。

今は私は惨めな負け犬でも、もしかしたらもう一回10年経てば逆転しているかもしれないではないか。もしくは一生懸命に生きているということを誰かが認めてくれる日が来るかもしれないではないか。

夢と希望を捨てずに頑張っていきたいものである。
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お仏壇に手を合わせる

宗教とか信仰心というほどのものではないかもしれないが、三十路になって以来仏壇に線香をあげて、手を合わせるようになった。

私くらいの年齢の人だとまだ仏壇と縁の遠い人が多いのではないかと思うが、先祖と向かい合うことで気がつくことも多い。
 
私は実の父と仲が悪く、どうしても父系の先祖に対して冷たい感情を抱いていたように思う。

そこをあえて拝むことによって心を清めるのである。

これは何もあの世の先祖が私を大切にしてくれるとか、父と仲がよくるなるということではないが、己の心の持ち方は変えられるのではないだろうか。

あの先祖は貧乏神、この先祖は疫病神などと思っていては情けない気持ちになる人も多いと思う。

そこを思い切って先祖に手を合わせようというのである。

苦しいこと辛いことがあるとついつい余所の宗教に走ってしまうこともあるかもしれないが、自分の家の仏壇を大切にすることも精神的に大いに有益なことがあるように思う。

もしも自分の血筋が途絶えることになるとと私は考える。私の場合少なくない数の無縁仏ができてしまう。そうなる前に仏壇に手を合わせることができてよかった。

神頼みでは決してないが、少なくとも自分の窮状を先祖に申し開きができているような気がするのである。

人事を尽くして、天命というか祈りまでしているのならばもう十分ではないか。

結婚相手が見つからないくとも潔くあきらめようと思う。

ギャンブリング

ギャンブルは身を切らないと面白くない。

額は小さくとも大きくとも、負けたなら自分が苦しい思いをするくらいでないと、勝った時の満足感は少ないのではないだろうか。

かくいう私のギャンブリングのここひと月の収支はマイナス7000円である。

しかしながら遊んだだけ自分の得になっているのだから、そのマイナスは決して大きいものではないように思っている。

こんなふうに思うこと自体がギャンブル依存症の症状とも言えないこともないかもしれないが、客観的のどう判断するかを私は残念ながら知らない。

たとい、毎日ギャンブルに明け暮れても好きでやっているなら依存症との診断はつかない。

そこが好きなのかどうか、単に習慣になっているだけではないかとの区別は素人には難しいものがある。

特に自閉圏の人間がギャンブルにはまっていると、「おかしい」と言われることになりやすいのではないだろうか?

プロフィール

日本一の金太郎

Author:日本一の金太郎
外国語が大好きです。
以前TOEICで900点を突破したこともありました。
中国語検定3級を取得し、現在は中国語の更なる習得に向けて励んでおります。
他にはフランス語検定3級やドイツ語検定3級を持っています。またイタリア語も勉強しております。
宜しくお願いします。

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